生まれてこの方、「幸せを祈らせてください」と言われたことがない。
どんなに混雑した駅のコンコースでも、彼らは私を避けていくのだ。
>と、しか思えない。
ま、私ときたら、
「他人の幸せ祈るよりテメェの将来考えろ!」
といいたいクチなのであって、祈られても正直困る。
そんな私であるが、鬼のようだと言われても鬼ではないので、
どんなに幸せを祈っても祈りたりない人たちというのは確かにいる。
が、鬼ではないけども、所詮ヒトなので、
報われたいと思うわけである。
当然だ。
だがここで、私らの仕事はというと、
「報われない」ということを前提に行うことになる。
私が報われるのはお金なんですよ、という判りやすい利害関係があるからこそできる仕事だ。
とはいうものの、そういうのは、なかなか伝わらんわけだ。
あくまでも仕事であってボランティアじゃない。
が。
専門家としての意見を求めてきたはずの人に、
……オイオイ _| ̄|○とつっこみをいれたくなることはよくある。
今、講演依頼をいくつか受けていて、事前に「質問カード」というのを受け取る。
私に「生協の白石さん」のような答えができればいうことはないが、
残念ながら生協とは無縁であるし、「チョコバットが入荷しております」とはいえない。
しかたないので、ひとつひとつ手にしていると、
びっくりするような深刻な悩みにぶちあたることがある。
とても120分程度の講演会にやってきた私に投げかける質問ではない。
気にはなるが、どうしようもない。
なので放置しておく。
すると「無視された」といわれたりする。
「ちょっと待て!(-_-;)」
とは思うのだが、また放置する。
放っておくとまたアクションがある。
これも「コミュニケーション」なのかなあ〜
と思いながら、私は答えることのない壁になる。
そうこうしているうちに、彼らの問題は全く別のところで解決している。
できれば「答え」をもって返って欲しい。
と思いながら、今日も壁になる私。
ああ、報われない。
とは思うけれども、それでいいのだと思う。
そんな私は、
知らん人に幸せを祈ってもらうくらいなら、
「トイレ掃除開運法」でも試したほうがマシだ。
とやっぱり思っている。
気軽でいいではないか。