うちのオフィスのYくんは賢い。
なにを尋ねても「知らない」といわれたことがないような気がする。
(しかし、レタスとキャベツの見分けはつかない)
英語はもちろん、韓国語もタイ語もしゃべる。
家がお寺なので、お経も読める。
字も達筆なので、垂幕も書いてくれる。
(しかし、頼んだことをすぐ忘れるので、急ぎの仕事は監視が必要だ)
夕べ、社会心理学者・南博氏の著作について話をしていたら、
「そういえば、南博で思い出したんだけどさー」
といい、
「俺、石原慎太郎に憧れてさー」
ここで「はあ?」といってはいけない。
なぜ、南博氏の話をしていて、氏に破門された石原慎太郎氏の話になるのか?
謎だが、尋ねてはいけないのだ。
Yくんの思考を一度妨げると、無限のかなたへ飛んでいくバズ・ライトイヤーになってしまうのだ。
なので、彼の話の続きを聞きたかったら、隣人は黙ることが必須である。
「石原慎太郎の真似をしてみたことがあるんだよ」
ここで、「ほぉ!ネス湖でも行ったのかい?」とか茶化してはいけない。
そんなことをすると彼の思考はスコットランドに飛んでしまう。
思うに、彼の思考回路には、「会話する」というモードがないのである。
心理の真理を探究するあまり、まず自らの内なる宇宙へもぐりこんでしまうのだ。
「石原慎太郎って両手で別々の文章がかけるんだって」
「それを真似したんだ!」
と、いうYくんは自慢げである。
Yくんは賢い。
………と、思う。
でも、
聞かなきゃよかった _| ̄|○
と、思ったあなたが正しい。
もっとちゃうとこ真似したらいいじゃん。
弟が男前とか、ないのか?!

