先日、プチ家出していたときに喫茶店で読んだSPA!(11月1日号)に、ずーっと気になっていたサビーヌ・ダルデンヌのインタビューが掲載されていた。
インタビュアーは宮台真司で、この手のインタビューにありがちな、下世話な質問も気遣いも誘導も一切なく、丁寧にかつ真剣に、彼女の過去ではなく未来に対する決意を書き留めたとてもいい記事であった。
社会学者として、宮台真司ほどその思想を誤解されている社会学者もいないだろう。
私がこの記事で特に感心したことに、彼の信念がうっすらと見えている。
宮台氏が、サビーヌ・ダルデンヌへのインタビュー前、事前に通訳に「NGはありますか?」と尋ねたところ、
「NGはないが、監禁されていた部屋が黄色だったらしくナーバスになるので、黄色という言葉に気をつけてください」
といわれたことに対して、「彼女がまだまだ社会復帰への途上であるということを感じた」という記述が記事の末尾にある。
けれども、宮台氏は、そのことについて一切の質問をしなかった。
つまり、彼女の未来に対する不安や、現在の状況についてムダな質問を一切していない。
そんなことは全て本の中にあるし、ここでわざわざ聞く必要はないという冷静な判断がそこにある。
社会学者としてよりも、ブルセラ理論とゴーマニズム宣言でメジャーになってしまった宮台氏であるが、決して彼は世の中に怒りちらかしているだけの、ただのリベラリストではないのだ。
社会とはどうあるべきなのか?がわかっているからこそ、社会として微塵も恥のないインタビューであった。
そんなインタビューは、サビーヌ・ダルデンヌにとっても心地よかったらしく、すでにいくつかのインタビューで発言されている「彼女にとって言い慣れた発言」もほとんどみられない。
さて、この本「すべて忘れてしまえるように」は、1996年8月、ヨーロッパを震撼させた連続少女監禁レイプ殺人「デュトゥルー事件」の詳細な記録だ。
救出された少女のうちのひとり、サビーヌ・ダルデンヌの80日にも及ぶ監禁生活の告白である。
2004年に主犯・マルク・デュトゥルーが終身刑になったことをきっかけに出版された。
主犯のマルク・デュトゥルーは、この事件の前にも同様の事件を起こしていたが、(13年半の禁固刑を受けながら)模範囚として数年で釈放されていた。
彼のような性犯罪者が、模範囚として早々と釈放されることは珍しくない。
それによって新たな不幸が起こることへの懸念から、性犯罪者リストの公開を訴える声が高まるなど、彼女の解放以後、ベルギーだけではなくヨーロッパ全土で様々な運動のきっかけになったことは記憶に新しい。
口述筆記で綴られている本作であるが、ノンフィクションでありながら、それでも事件のすべてではないことがわかる。
このような不幸は、決して他人事ではないということ、それが我々のすぐ隣や、家族の身にいつ起こってもおかしくないことであるということへの彼女の警鐘。
そこには、その辛い体験談よりも、胸がつまるほどの彼女の決意があふれている。
そしてそれはあくまでも「決意」であって、これまでの経過報告なんかじゃない。
現在21歳の彼女は、恋人と共に、今も同じ街に住んでいる。
またも世界が自分に注目するきっかけとなるこの本の出版は、なおさら、彼女を決して「平和な毎日」に引き戻してはくれないだろう。
本の中でも、たくさんのインタビューでも、「頑張って」とか「可哀相に」といわれるたびに反発したと彼女は語っている。
反発しているのに、どうしてわざわざこんな本を出版しているのか?
私はこの本を読んでから、下世話な想像も含めて、ずーっと疑問であった。
周りの大人たちは一体なにを考えて彼女を大衆の目にさらしたのだろうか?
その後、彼女がずっとその地にとどまることを、だれが予想していたのだろうか?
当時、たった12歳の彼女がこれほどまでの「決意」を手にしていたとももちろん思えない。
世の中には彼女より長い期間監禁された人はもちろんいるし、彼女よりもずっと長い間性的虐待をうけた人も少なくはない。
それでは、そのような境遇に合わなかった人は、果たして幸いだと言えるのであろうか?
サビーヌ・ダルデンヌは、強い人じゃない。
彼女からの警鐘を、じーっと心に据えながら、どこにでもある街灯の光を一度見つめて欲しい。
その決意と強さを、彼女に与えたのは、きっと我々、社会そのものだ。

